吉野魁 古唐津再興

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吉野魁
古唐津再興

「本手絵唐津皿」高さ5.6cm、径28.5cm

「本手絵唐津皿」高さ5.6cm、径28.5cm



古唐津」は、安土桃山時代から江戸時代初期に、佐賀西部から長崎にまたがる地域でつくられた焼き物を指す。
12代中里太郎右衛門(1895-1985、69年から無庵)が古唐津の再興に尽力し、76年に重要無形文化財保持者に認定されたが、土づくりなど、多くの疑問が残されていた。
その解明に、土づくりから取り組んだのが櫨ノ谷窯(はぜのたにがま)の吉野魁(1941-2015)で、多くの謎が残る唐津焼の源流が明らかにされるきっかけとなった。

○櫨ノ谷窯は?
日本最古の半地上割竹式登り窯として知られる飯洞甕下窯(はんどうかめしもがま)と、当時最大の規模を誇った椎ノ峯窯(しいのみねがま)のほぼ中間地点にあり、最盛期には12軒の窯元がありました。
1954年に秀吉が、飯洞甕下窯などのいわゆる岸岳古窯群を保護していた岸岳城主・波多氏の領地を没収したことにより陶工が離散し、その一部が住み着いて興したと言われています。

○土はどこから?
以前は地元の原料店から仕入れていましたが、現在は堆積岩を砕いて精製したものに切り換えています。十数年前に友人に、古唐津は陶石でつくられているかもしれない、と言われたのがヒントになりました。また父親に、「櫨ノ谷をとり囲む山の赤松の下の石を砕けば粘土になる」と言われていたのもきっかけとなりました。

○唐津土に対して疑問を持っていたのですか?
「陶器は陶土」というのが常識でしたら、それまでは流通している唐津土を使って作陶していました。それなりの結果を出していましたが、古唐津の土味は再現できませんでした。
また、焼けば張りがなくなるし水漏れも多い。さらに、他の産地の陶器より欠けやすいと言われたりして、内心もやもやしたものがありました。しかし、石である堆積岩を使えば磁器と同じくらい強くなり、その悩みも解決できるのではないかと思ったわけです。

○使っている堆積岩は?
周辺にある砂岩(さがん)や頁岩(けつがん)で、それを砕いて精製しています。砂岩の構成鉱物は主に石英と長石で、頁岩は微粒の泥が水中で水平に堆積して脱水・固結してできたものです。どちらも堆積岩ですが、櫨ノ谷はその堆積岩層に囲まれた地域の一つです。
また、古唐津が焼かれた窯跡を調べてみると、そのほとんどが飯洞甕下窯から西北に帯状に延びる堆積岩層の上に築かれていたことが分かりました。その先には有田の磁土層があります。

○古唐津は磁器と同様、石を砕いてつくっていたということになりますね……
12世紀中頃に始まる岸岳の波多氏は、15世紀初めから朝鮮との交易を活発化させ、その過程で石を砕く技術が導入されたり、実際に陶工が渡来してそれを実践したりしたのではないかと思います。
さらに秀吉の文禄・慶長の役以降、朝鮮陶工が数多く渡来して唐津焼に加わり、そのなかの李参平が有田焼の磁器の礎を築きましたが、それらの陶工は当初から石から焼き物をつくることができるいわゆる磁器づくりと、陶土から甕などをつくる陶器づくりの集団に分かれていたと考えています。
その2種の陶工集団が窯場を同じにしていたのが藤ノ川内窯で、椎ノ峯窯の南側にあります。そこからは、古唐津の優品と同じ焼き上がりの陶土製ではない陶片が数多く出土しています。

○唐臼を使っているようですが……
唐臼で10日間搗くと堆積岩の粒子が多角形になり、大きさもばらつきます。そうすることによって粒子が絡みやすくなって粘りがよくなり、薄めに挽けるようになります。小石原焼の伝統産業会館に、民藝らしからぬ薄づくりの器が展示されています。小石原焼草創期の頃の作品で、臼搗きしたものを使ったのではないかと考えています。文禄・慶長の役以降、数多く渡来した朝鮮陶工が各地に散らばり、磁器づくりの集団がそれを挽いたのではないでしょうか。
臼搗きの利点はもう一つあります。細かい粒子が入り込んでいるため、そんなに焼成温度を上げなくても焼き締まり、水漏れがまったくなくなるということです。古唐津を焼いていた頃の窯は土でつくられていますから、1250度前後までは上がらなかったと思います。また、やや低めでも焼き締まるのでそこまで上げる必要もなかったのではないでしょうか。
古唐津の柔らかな感じは、臼搗きと焼成温度とも密接に関係していると思います。

○今後の方向は?
古唐津の窯跡が120カ所以上確認されており、それぞれ特徴のある唐津焼を生み出してきました。砂岩や頁岩の成分がその地域によって異なっているからだと思いますが、そのいろいろな原材料に挑戦し、古唐津とは何だったのか、唐津焼とはどんなものなのかを追求したいと思っています。(2013年インタビュー)

左が砂岩、右が頁岩 photo by Takashima Hideyoshi

左が砂岩、右が頁岩
photo by Takashima Hideyoshi



YOSHINO KAI PROFILE
1941年 佐賀県伊万里市南波多町の櫨ノ谷に生まれる
1970年 現在地に四連房式の登り窯を築き、作陶を開始
1999年 唐臼を設置し、従来とは異なった陶土素材の研究を開始
2001年 砂岩と頁岩を原材料とした作品を発表し、「本手唐津」と命名
2007年 古唐津の風合いに近くなる新しい焼成方法を確立
2013年 魁と改名
2015年 逝去