仲岡信人 新たなる釉調を求めて

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仲岡信人
新たなる釉調を求めて

「彩色灰釉花器」高さ17.5cm、径29.5cm

「彩色灰釉花器」高さ17.5cm、径29.5cm



大阪に生まれ、兵庫県三田育ち。6年間修行した立杭で、工房を確保して2006年に独立した。
京都で学んだ灰釉を丹波土と組み合わせ、独特の釉調をつくり上げた。
丹波焼の有望作家の一人として、また丹波焼の新たなディスプレーの提案者として注目を集める。

立杭に窯を築く
下立杭の282号線沿いに、ひときわ目立つギャラリーがある。39歳の若き陶芸家・仲岡信人氏の作品展示場として、開放的に改造された茅葺き屋根の古民家だ。10年前に独立したものの、大阪生まれなので自分のお客がまったくいなかった。そこで、立杭を訪れたひとが通りからでも作品を見ることができるように、古民家の雰囲気を壊さない程度に前面をガラス戸にした。コーヒー豆の業者に、カフェを併設するように勧められたが、そこまでは手が回らなかった。
学のときに三田に引っ越し、大工や家具職人に憧れた仲岡氏は、旅番組の轆轤挽きを見て陶芸家に方向転換。高校卒業と同時に上立杭の末晴窯・西端正氏に師事し、京都市工業試験場で学んでから西端氏の許で修行に再度励んだ。
の後、青年海外協力隊員として2年間赴任したカリブ海のセントビンセント島から帰国した仲岡氏は、原土掘りもしたことのある丹波焼を焼くために立杭で独立すること決意。立杭周辺にも足を伸ばして土地を探したが、まったく見つからなかった。しかしまったく偶然に、元は窯元だったその古民家が売りに出ていたのを発見した。
金もそれほど豊かでなかった仲岡氏は、海外派遣で培ったノウハウで、半年間かけてほとんど一人で母屋を改造した。さらに作陶室は、お客にすぐに対応できるように母屋の並びに建て、これもまた外からよく見えるような構造にした。

顔料と灰釉を流す
掛けや焼成は、母屋の後、つまり道路と反対側の山側にある前の窯元の作業場をそのまま利用している。工房の横には登り窯を築窯中で、将来はその窯で炭化も行う予定だ。
岡氏の仕事は現在、ガス窯をレンガで囲って行う炭化と、灰釉を掛ける釉薬ものが中心になっている。
波焼の釉薬には、ビードロ釉に近い自然釉、灰釉、赤土部釉、飴釉、白釉、土灰釉などがある。白釉などによる筒描き(イッチン)は、丹波焼を代表する装飾法の一つで、「海老徳利」が名高い。轆轤をゆっくり回したりして掛ける流し釉や、白釉が動いている間に鉄釉を垂らして揺さぶる墨流しも、丹波焼ではよく行われてきた装飾法だ。
こうした技法の博物館と言える丹波焼で仲岡氏がつくり出したものは、呉須やマンガンなどの顔料と灰釉との組み合わせた「彩色灰釉」シリーズ。
灰釉は樫灰と土灰を配合したもので、よく流れるようにしている。丹波焼伝来の自然釉に似たビードロ系の釉薬だが、仲岡氏の好みでマット質にしている。
都の工業試験場では主に、灰釉の研究を行っていた仲岡氏だが、灰釉の中に呉須やマンガンを溶かし、さらにそれを細長く筋状に流すには、独立してから3年の月日を要した。工業試験場ではだいたいのイメージをつかんでいたが、灰釉と丹波土との相性、及び焼成温度と焼成時間の問題で、目標になかなか到達できなかったからだ。
彩色灰釉」シリーズの焼成温度は1,240度。仲岡氏の釉調を極める旅は、始まったばかりだ。



NAKAOKA NOBUTO PROFILE
1977年 大阪に生まれる
1996年 高等学校卒業後、西端正氏に師事
2001年 京都市工業試験場陶磁器科修了。西端氏に再師事
2003年 青年海外協力隊員として、セントビンセントに赴任し、陶芸指導にあたる
2005年 帰国
2006年 立杭で独立
2010年 現在形の陶芸萩大賞展入選
2011年 神戸ビエンナーレ入選
2012年 茶の湯造形展入選
2013年 茶の湯造形展優秀賞、神戸ビエンナーレ2013現代陶芸コンペティション準グランプリ、現在形の陶芸 萩大賞展Ⅲ 佳作