大樋年雄 茶陶の原点に立つ

by & filed under .

大樋年雄
茶陶の原点に立つ

「大樋黒釉窯変茶碗」高さ9.3cm、径11.4cm

「大樋黒釉窯変茶碗」高さ9.3cm、径11.4cm



加賀百万石の楽焼の伝統を継承。
一方では茶室や展示場を設計するなど、侘茶を完成に導いた利休と同じに視点に立ち、茶陶を総合的に展開する。

利休とともに歩んだ楽焼
焼はおもに手びねりで成形され、750度から1,100度程度の比較的低い温度で焼成された陶器を指す。このような低火度焼成が、安土・桃山時代に京都、堺、大阪で盛んに行われていたことが、近年の発掘調査で明らかになっている。中国・明代後期の三彩釉を起源とすると言われており、当時近畿地方で大きな広がりをみせ、「今焼(いまやき)」と呼ばれた。後に楽焼と改められたが、そこには楽焼の本流を継承する京都の楽家と、侘茶を完成させた利休(1522~91)との濃厚な関わりがあった。
文書に、楽家の元祖はあめや(飴也または飴屋)と記されている。あめやは中国からの帰化人で瓦焼の工人であったと伝えられ、その息子が楽家の家祖である長次郎。長次郎は、工人としてまた陶工として「今焼」を家業にしていた。
1592年の本能寺の変を契機に、豊臣秀吉は天下統一に乗り出す。同時期、当代一の茶人と言われた利休は、茶道具をプロデュースしたり、茶室をつくったりして、侘茶のスタイルを確立しつつあった。その利休の目に止まったのが、初代長次郎の今焼である。長次郎は利休の指示により秀吉の聚楽第で制作し、そこで焼かれた焼き物は「聚楽焼」と呼ばれた。成形に使用されたのは近くから採れた「聚楽土」である。そして、二代常慶が「楽」の印を授かったのを契機に、楽家が焼く焼き物は「楽焼」と称されるようになったのである。
在、京都御所の近くに窯を構える楽家は、楽焼の本窯と言われている。それに対して、楽一族または弟子の窯を脇窯と言い、加賀百万石の茶陶として始まった金沢の大樋焼もその一つ。五代藩主前田綱紀候は1666年、裏千家四世仙叟宗室(1622~97)を茶道奉行として金沢に招いた。そのとき仙叟は、楽家四代一入(1640~96)の高弟、土師長左衛門(1631~1712)を同行した。長左衛門は、代々土器づくりにたずさわってきた家系で、一入のもとで10年ほど茶碗づくりを行っていた。仙叟は、長左衛門とともに楽焼と侘茶を加賀に伝え、その礎を築いた。
左衛門は、金沢城の北東2kmほどの卯辰山の麓にある大樋村(現在の金沢市大樋町)に、楽焼に適した土を発見。その土で制作したのが大樋焼の始まりあるが、1686年仙叟宗室は、官を辞して京都に戻って裏千家を起こす。仙叟の指導のもと、加賀にふさわしい楽焼づくりを行っていた長左衛門は加賀に残り、楽焼の伝統を今日に伝える。

茶陶と空間を意匠する
1958年生まれの大樋年雄氏は、十代大樋長左衛門(1927~)の長男として生まれた。お祖父さんの九代にかわいがられ、大樋焼を継ぐ立場にあったものの、家業の焼き物とはまったく無縁の学生生活を都内で送っていた。しかし、大学3年のときロサンゼルスで、アメリカの陶芸家リチャード・ハーシュ氏がつくった「アメリカン・ラク」に強い衝撃を受け、家業の楽焼に目覚めた。卒業と同時にボストン大学に留学し、84年にはボストン市役所で初個展を行う一方、リチャード・ハーシュ氏とともに「アメリカン・ラク」のワークショップを全米各地で展開した。
メリカから戻って制作の現場を大樋窯に移してからも大樋氏は、展覧会、講演、公開制作などを行うために年に何度か訪米している。1998年のハワイ大学の公開制作では、土を探すことから始め、焼き物に適した土がないと言われていたハワイで初めて白釉、黒釉、飴釉などを掛けた楽茶碗を焼くことに成功。自ら設計した自宅の大広間にそれらの茶碗を展示する一方、希望する茶碗で抹茶をふるまう。その大広間は大寄せの茶会を、数段上の間では立札(りゅうれい)式の茶会を開くことができるようになっており、さらに玄関の横には二畳ほどの茶室も設えている。
樋氏が自宅の設計を行ったのは、これが初めてではない。実家の立礼室「年々庵」や展示場から始まり、近年は東京・銀座五丁目の加賀屋銀座の店舗もデザインした。空間に左右されやすい茶碗を初めとした焼き物には、それにふさわしい建物や場を提案する必要があると確信しているからで、それらの仕事は建築業界からも高く評価されている。
樋氏は現在、九代の小道具を使って茶陶をつくる。一方では、建築空間の設計図をパソコンで叩き出す。侘茶を完成させた利休は1583年ごろ、その精神をもっともよく伝えているという二畳の究極の茶室「待庵(たいあん)」をつくった。
人として歩んだ利休と大樋年雄氏に、ある種の共通した考えがあることは容易に想像できる。

_PHX6446-2OHI TOSHIO PROFILE
1958年 十代大樋長左衛門の長男として金沢に生まれる
1984年 ボストンユニバシティ大学院修士課程卒業
1990年 第37回日本伝統工芸展入選(以後9回入選)
    第46回現代美術展最高賞
1995年 第12回日本陶芸展初入選(4回連続入選)
    北の菓子器展最高賞
1997年 美術文化大賞
2000年 第39回日本現代工芸美術展現代工芸賞(02年再受賞)
    第32回日展初出品初入選
    金沢市の工芸ミッション団長としてヨーロッパ視察
2002年 アジア太平洋現代陶芸展(台北現代陶芸美術館)日本コミッショナー
    金沢市文化活動賞
    第34回日展特選(第37回再受賞)
    第41回日本現代工芸美術展現代工芸賞
    第31回石川県インテリアデザイン賞
2003年 第27回全国伝統的工芸品公募展中小企業庁長官賞
2004年 第43回日本現代工芸美術展本会員賞
    グッドデザイン賞(経済産業省)
2008年 第47回日本現代工芸美術展東京都知事賞
2009年 第41回日展会員賞
2011年 第1回景徳鎮世界陶磁器会入賞
2013年 第7回韓国京畿道国際陶芸ビエンナーレ招待
2016年 十一代大樋長左衞門を襲名
国内外で個展、招待出品、講演、ワークショップを多数開催するほか、町づくりや店舗のプロデュースやデザインも手掛けている。
現在、ロチェスター工科大学客員教授、国際陶芸アカデミー会員、日本文化フォーラム会員、日本工芸会正会員