谷本景・貴 親子陶展 in 京王百貨店ギャラリー 2022

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島田恭子作陶展

2022年4月23日(日)〜5月8日(日)
やまに大塚 ギャラリー緑陶里
栃木県芳賀郡益子町城内坂88
0285-72-4789



《桜・牡丹文器》高さ38.5cm、54×17cm


1954年茨城に生まれ、都内に勤務。日本橋の百貨店で見た益子焼に大きく惹かれ、78年栃木県窯業指導所を修了。
益子の土を手びねりした陶器に描かれているのは、敷地に自生したり山から移植したりした桜、牡丹、梅などの草花。今展も、こうしたモチーフによる花器、皿、湯吞、ぐい吞など約150点の出品で、益子を代表する人気作家の毎年恒例の展覧会。



《梅文器》高さ41cm、35.5×19cm



 



谷本景・貴 親子陶展

2022年4月21日(木)〜27日(水)
京王百貨店ギャラリー
新宿区西新宿1-1-4
03-5321-5300



谷本景(同右)
《伊賀茶盌》高さ11cm、径12.1cm


《古代から(白い銅鐸)》
高さ66cm、40×12cm


《古代から(赤い銅鐸)》
高さ65cm、39×13cm

谷本景氏は1948年、古伊賀の復興を目指した父・谷本光生の長男として三重県伊賀市に生まれた。70年美濃で日根野作三、加藤仁に師事し、72年父親の伊賀三田窯で作陶。73年から西欧10カ国を遊学し、75年までヘイターのアトリエ17で銅版画を学ぶ。77年に帰国し、伊賀三田窯を引き継ぐ。
一方、78年景氏の長男として生まれた貴氏は、同志社大学文学部を卒業後京都府立陶工高等技術専門校で学び、2003年森正氏に師事。05年岡田文化財団奨学金でイタリアに渡り、帰国後故郷で伊賀焼を制作する。
16世紀の終わりから17世紀中頃まで焼かれた伊賀焼は「古伊賀」と称され、それを代表するのが耳付水差の「破袋」だ。中国や西欧の端正なやきものとまったく異なる左右非対称の形状は現在、抽象絵画や前衛芸術の先駆けと評価されており、その伝統的な伊賀焼をともに温故知新の気持ちで継承しながら未来の伊賀焼を再構築しようとしているのが景・貴親子。伝統的な茶道具、オブジェ、陶板など各50点の出品となる。



谷本貴(同右)
《伊賀耳付花入》高さ27.5cm、15×15cm


《無題》高さ25cm、40×31cm

 



肥沼美智雄とその時代展

2022年4月16日(土)〜6月19日(日)
益子陶芸美術館/陶芸メッセ・益子
栃木県芳賀郡益子町大字益子3021
0285-72-7555

刻文花生》高さ17.5cm、32.6×21.4cm
 1979年頃  益子陶芸美術館蔵(6点とも)


《壺》高さ47.4cm、29.6×21cm  1981年


《花器》高さ38cm、35.6×38cm  1978年頃


《壺》高さ29.5cm、28×22.8cm  1973年頃


《兜》高さ20.5cm、22.5×21cm 
2008年頃


《彫文壺》高さ36cm、47×28cm  1980年頃

江戸末期の1853年に、笠間で修行した大塚啓三郎に始まる益子焼は、甕、すり鉢、行平、土瓶などの施釉陶を焼き、現在に至っている。その流れは1955年に重要無形文化財保持者に認定された濱田庄司(1894-1978)によって一つの頂点を迎えたが、70年頃からは土味を生かした造形表現を探求する気風が生まれた。それを牽引したのが加守田章二(1933-83)で、加守田に傾倒する陶芸家が益子などに移り住むようになった。
1936年東京に生まれ、2020年に84歳の生涯を閉じた肥沼美智雄もそのひとりで、69年「一黙窯」を築き、益子を拠点とした。轆轤で成形するという益子の伝統にとらわれない手びねりで、中国古代の青銅器や埴輪を想起させる黒々とした古銅のような肌を持つ堅牢な造形体などを制作するなど、次々と新たな作品を展開した。
本展は、肥沼作品を中心に、同時代に益子で作陶した作家による作品とあわせて約60点を紹介するもので、出品作家は、肥沼美智雄、加守田章二、瀬戸浩、小滝悦郎、大宮司崇人、菊池昭、伊藤信、宮澤章の8名。

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