伊勢﨑創 稜線美を追い求める

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伊勢﨑 創
稜線美を追い求める

「備前扁壺」高さ41cm、36×30.5cm

「備前扁壺」高さ41cm、36×30.5cm



岡山県重要無形文化財保持者だった伊勢﨑満の三男。父親の死去に伴い、陽山窯を継いだ。
父親から学んだ備前焼に稜線を取り入れながら、独自の世界を築いている。

備前焼で稜線をテーマに
年以上にわたって焼き継がれてきた備前焼で、4人兄弟がすべて陶芸家として独立した窯元がある。卓、紳、創、競の各氏が生まれた陽山窯で、旧国道2号線と不老川が交わる角地に窯がすえられている。1934生まれで、かつては細工物を得意とした岡山県重要無形文化財保持者だった伊勢﨑満が継いだ窯だ。
ともとものづくりが好きだった伊勢﨑創氏は、高校卒業と同時に叔父で2004年に重要無形文化財保持者となった伊勢﨑淳氏の弟子だった山下譲治氏に師事。陶芸家としての第一歩を踏み出した。
1947年東京に生まれた山下氏は、カナダで現代美術を学んでから伊勢﨑淳氏に師事し、備前焼の伝統的な作品だけでなく、叩き出しによる稜線作品も手掛ける。父親の茶陶とは違う新たな作品を模索していた伊勢﨑氏は、その現代的な感覚に触発され、稜線をテーマにすることを決めた。89年にはアメリカに遊学し、師事を終えた1992年からはアメリカの友人宅で1年間過ごした。そこで、無釉ながらその表現の豊かさでは群を抜く備前焼の特異性と可能性を再認識した。

陽山窯で焼く
1994年に父親の指導を受けるようになった伊勢﨑氏は、2001年に片上湾沿いに窯を築いて独立。備前土の味を生かした稜線作品を中心に、個展や公募展で発表を重ねてきたが、2012年父親が亡くなり事情が一変した。陽山窯を継ぐことになり、緋襷を焼くのに優れ陽山窯の登り窯で焼くことになったのだ。
使用している土は砂気の多い田土で、真空土練機に2度通したもの。内側から押して稜線を形づくり、その稜線は乾き具合を見ながらヘラで際立たせる。面と面を区切る稜線と緋襷をどう組み合わせるのかは、今後の課題となっている。



ISEZAKI SO PROFILE
1968年 伊勢﨑満(岡山県重要無形文化財保持者)の三男として生まれる
1987年 県立岡山工業デザイン科卒業
1987年 山下譲治に師事
1988年 日本工芸会中国支部展入選
1989年 アメリカ留学
1991年 岡山県美術展奨励賞受賞
1992年 渡米
1993年 岡山県美術展入選
1994年 田部美術館大賞茶の湯の造形展入選
1994年 父、満にも指導を受ける
1995年 銀座黒田陶苑にて兄弟展
1996年 日本伝統工芸展入選
1997年 岡山県美術展県知事賞受賞
1998年 田部美術館大賞茶の湯の造形展入選
1998年 銀座黒田陶苑にて兄弟展
1999年 岡山県美術展奨励賞受賞
2000年 日本伝統工芸中国支部展入選
2001年 登り窯を築き独立
2002年 日本伝統工芸中国支部展入選
2003年 銀座黒田陶苑で個展
2004年 日本工芸会正会員
2007年 日本工芸中国支部50周年記念展岡山県教育委員会教育長賞
2012年 父・満の陽山窯を継ぐ