清水保孝 蓬莱(ほうらい)流を貫く

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清水保孝
蓬莱(ほうらい)流を貫く

「鉄釉鉄彩壺」 高さ35.2cm、胴径30cm

「鉄釉鉄彩壺」 高さ35.2cm、胴径30cm


重要無形文化財保持者に認定された父・清水卯一に師事。素材づくりから陶技を受け継ぎ、先達が格闘してきた京都の伝統に挑む。

天然素材を生かす
水焼の聖地・五条坂に生まれたが、生家はもともと有田焼を商う卸問屋。祖父母が店を切り盛りしていたが、父親の卯一が作陶に興味を示し、店の奥にある離れで制作を始めた。有田焼がほとんど売れなくなったので、祖父母は思い切って卯一の作品に展示替えし、現在は保孝氏や長男の志郎氏を中心にした清水家の作品展示場になっている。
条通りに面した清水家の隣には、文化功労者の六代清水六兵衛が陶祖神社と名付けた質素な若宮神社がある。近くの六波羅密寺小学校に通う保孝少年の趣味は、神社や寺に立つ露店から買ったひよこ、ザリガニ、亀などを飼うことであった。
学を卒業した保孝氏は、サラリーマンに向いていないと感じて父親に師事。そのときに飼育していた亀をテーマにすることを、父親とともに決めた。しかし、保孝氏が離れで轆轤を挽き始めたころ、父親は琵琶湖の西岸に広い窯場を定め、五条坂から移ってしまった。従って、幸か不幸か厳しい指導で知られた陶芸家・清水卯一と轆轤を並べて挽くことも、直接教えを受けることもなかったのである。
琶湖に西岸に移った卯一は、工房裏手の蓬莱(ほうらい)山などから調達した原料などで釉薬をつくり、それを掛けた作品に「蓬莱」と名付けていた。呼び出されることの多かった保孝氏も、同行しながら原材料を採取した。そのひとつが亀などを描くときに使用している鉄絵具で、保孝氏が使用する16種類ほどの釉薬は父親と同様、ほとんど天然素材との格闘と研究によってつくり上げたものだ。

轆轤目を揺らす
れの跡地に建てられた工房は、1階が窯場、2階が制作室となっており、2階からは若宮神社の境内を見渡すことができる。電動轆轤で挽く大鉢の土は、鉄釉鉄彩用の白土約10kg。信楽土、木節粘土、もぐさ土を7:2:1の割合で混ぜ合わせたもの。
轤の回転をやや速めにして筒状に挽き上げ、口をすぼめてからは轆轤の回転を極度に落とす。そして、指を小刻みに動かしながら肩を広げ、轆轤目を揺らす。さらに内側にコテを当ててからは、外側から当てた指を小刻みに揺らす。まさに清水卯一流の轆轤の挽きかたで、この指使いで自然の風に吹かれたような柔らかなラインに仕上がるのである。
土が動く 風だ
土地が揺れる そして花
孝氏の工房に掲げられている清水卯一の書だ。天然の素材を用い、自然の風がつくり上げたような形状に仕上げる “蓬莱流”が貫かれている。




SHIMIZU  YASUTAKA  PROFILE
1947年 京都市五条坂に生まれる
1970年 龍谷大学文学部史学科卒業
1971年 父・清水卯一に師事
1972年 日本伝統工芸展初入選
1973年 第2回日本工芸会近畿支部展で近畿支部長賞
1977年(78・79) 第6回日本工芸会近畿支部展日経奨励賞
1981年 第10回日本工芸会近畿支部展松下賞
1992年 京都工芸の新世代展に出品
1994年 「藍釉銀彩亀遊文大鉢」が京都府に収蔵
1999年 「鉄絵亀遊文掛分扁壺」が駐日フランス大使館に収蔵
日本工芸会理事、日本工芸会近畿支部幹事長