浦口雅行
進化する青瓷
東京生まれ。東京藝術大学大学院を修了後、栃木県芳賀町で独立し、筑波連山の懐・茨城県石岡市で制作する。
学生の頃から青瓷に取り組み、南宋官窯風の青磁から砕けたような新境地の青瓷に到達。
独自の技法を目指す
釉薬の中に微量に含まれている酸化第二鉄が、還元焔によって酸化第一鉄に変わることによって青緑色に発色する青磁(瓷)は、厚く掛けることによって深い青緑色を呈する。また、赤土を胎土に用いた場合、その中に含まれている鉄分が釉中に拡散してより深い発色を見せることもある。
東京生まれの浦口雅行氏は、東京藝術大学で青磁を志し、1997年に青磁で重要無形文化財保持者に認定され三浦小平二(1933〜2006)に、過去のものを模倣するだけでなく、作家として独自の技法や世界観を築き上げることを教え込まれた。
砕ける釉
大学院を修了した浦口氏は、栃木の鉱山会社に就職したが、2年後には栃木県芳賀町で独立。1年半後にようやく、磁土を胎土とした無貫入の青磁に到達。次に鉄分が多くて貫入の発生する炻器質の陶土に変え、南宋官窯風の「青瓷」を目標にした。さらにその色合いをやや黒く、しかも貫入をさらに細かく結晶状に発生させた「青瓷黒晶」を開発した。
「青瓷黒晶」の次に世に送り出したのが「青瓷黒燿砕」で、「海松瓷(みるじ)黒燿砕」「燿砕黒黄瓷」がそれに続く。黒みがかったもえぎ色を指す「海松」瓷も、同質の釉薬による作品で、この三つが以前と大きく異なる点は、「砕」という文字が示すように、ガラス化した釉薬に細かく砕けたような貫入が入っていること。その貫入がプリズム化してキラキラと虹色の光彩を放ち、作品を動かすたびに壮大な交響楽を奏でるのだ。
2009年浦口氏は、「砕」シリーズの釉薬にコバルトなどを加えた「瑠璃燿砕」に到達した。茶室では黒天目のように見えるが、光に当てると激変し、最北の夜空に天の川のような星のかたまりが細かく無限に光っているような作品だ。細かな貫入に刷り込まれたベンガラが、それに鮮やかな彩りを添える。
試作を繰り返す
こうして浦口氏は、現状に満足することなく新たな青瓷に絶えず取り組んできたが、その青瓷制作は尋常ではない。素地は薄づくりで、釉薬は刷毛塗りを繰り返して厚くしなければならないからだ。
1回で塗る釉薬の厚さは0.2〜0.3mm。それを乾かしてから塗り重ねるわけだが、官窯青瓷の場合は釉薬の粒子が細かいので、片面で多いときは15回ほど、裏表で30回ほど塗る。黒晶や燿砕の場合は粒子が粗いので片面が5回ほどで済むが、釉薬の厚みは0.1mm単位で厳密に測定したうえで焼成する。何らかの落ち度があると必ずキズが出たり、はがれ落ちたりするからだ。
浦口氏は現在も、膨大な試作を繰り返しながら、強靱な制作意志と集中力で、独自の青瓷に取り組んでいる。
URAGUCHI MASAUKI PROFILE
1964年 東京に生まれる
1989年 東京芸術大学美術学部大学院三浦小平二研究室修了
1989年 伝統工芸新作展入選
1990年 日展入選。国際陶芸優良入選
1991年 栃木県芳賀町に築窯し、独立
1992年 朝日陶芸展入選
1993年 朝日陶芸展新人陶芸賞
1995年 日本陶芸展入選
1995年 日本橋三越で初個展開催
1996年 中国浙江省南宋官窯・龍泉窯などの窯跡を調査研究する
1997年 日本伝統工芸展入選
2001年 茨城県石岡市に工房を移転
2002年 茨城県芸術祭特賞
2007年 茨城新聞社主催「青瓷 浦口雅行展2007」
2009年 茨城工芸展茨城工芸会80周年記念賞
日本工芸会正会員、茨城工芸会会員