島田文雄
進化する青白・彩磁
磁器とその可能性を追求している島田氏の陶芸の原点は、中国・宋代の青白磁にある。そこを出発点にして、釉下彩の彩磁に取り組み、現在はチャイナペインティングにまで表現領域を拡大する。
傘の骨による青白磁
東京藝術大学教授の島田文雄氏は、栃木県佐野市の両親が教員の家庭に生まれた。絵を描くことが好きだった母親の影響を受けた次兄の哲男(結婚して松本姓)氏が絵を描くのを見て育ち、自然に芸術を志すようになった。絵描きになることに反対だった両親の意向に沿い、東京藝大では工芸科を選択し、当時人気が高かった北欧風の家具デザイナーを目指した。
藝大では1、2年生のとき、いろいろな工芸を実習する。島田氏が2年のときに取り組んだのが陶芸で、生まれて初めて粘土に触り、どうにか轆轤が挽けるようになった。そして、無心になれるほど土に熱中するようになった島田氏は、陶芸を専攻すること決意し、陶芸家への道を歩み始めた。
大学院に進んだ島田氏が選んだのは、窯変などの偶然性が少なく、思ったものを確実に表現することができる磁器で、当初は染付や色絵で装飾した。しかし、MOA美術館で見た中国・宋代の「青白磁蓮花文皿」に強く惹かれ、目標を青白磁に定めた。青白磁は影青(いんちん)とも言い、文様を片彫りし、その上に釉薬を掛けて還元焔焼成した磁器。1000年頃に景徳鎮で始まり、釉中に含まれる微量の鉄分が、還元焔によって薄い青色を呈す。
その片彫り文様を傘の骨を加工したカキベラで彫った青白磁は伝統工芸展で入選を果たし、同新作展では日本工芸会会長賞を受賞。実力を高く評価された島田氏は77年、若くして日本工芸会の正会員に推挙された。ちょうどその頃、出光美術館で見たのが、板谷波山の彩磁であった。青白磁の中に色があったらさらにきれいになるだろうと思い始めていた島田氏は、さっそくその研究に取りかかった。
彩磁からチャイナペインティングへ
彩磁は釉下彩であるが、水溶性の顔料を使用する。それによって色調を柔らかに表現することが可能になっているのだが、顔料の調合はほとんど明らかにされていなかった。島田氏は、板谷波山の門人からのわずかな情報をもとに試作を重ね、80年にようやく青白磁に絵付けした「青白彩磁」を世に送り出した。その後研究を重ねた結果、4年後にはその顔料は10数種に。新たに開発したマット釉がそれに加わり、青白磁を床柱にした島田彩磁は、独自の境地に到達した。
しかし、そこで島田氏の歩みが止まったわけではない。2000年島田氏は、マット釉より透明度の高い釉薬を開発。淡い色合いをよりクリアーに楽しむことができる釉薬で、それに合わせ、彩磁の顔料も調合し直した。
さらに、彩磁の色合いを深めるために近年取り入れたのが、洋絵具による上絵付けのチャイナペインティング。止まることを知らない島田磁器だが、そこに描かれているのは身の回りにある自然の草花で、絵付けを前提にしてその都度スケッチしたものだ。草花などの瑞々しさやその動きを自然の空気とともに描き、磁器に定着させているのだ。
SHIMADA FUMIO PROFILE
1948年 栃木県に生まれる
1974年 第21回日本伝統工芸展入選
1975年 東京藝術大学大大学院修了
1975年 修了作品藝大美術館買い上げ
1975年 第15回伝統工芸新作展日本工芸会会長賞
1975年 東京藝術大学美術学部非常勤講師(~86年)
1977年 日本工芸会正会員
1979年 初個展(銀座むね工芸)
1981年 個展(日本橋三越)
1981年 伝統工芸武蔵野展日本工芸会長賞
1986年 東京藝術大学美術学部助手
1993・94年 ビクトリアアンドアルバート美術館客員研究員
1994年 東京藝術大学美術学部助教授
1997年 中央美術学院招待教授(〜99年)
1997年 盆栽の器展優秀賞
2003年 東京藝術大学教授
日本橋三越、銀座和光、心斎橋大丸(大阪)、現代工芸藤野屋(栃木)他で個展を多数開催。