岡田 裕
萩焼の新たな造形世界
萩・椿東の前小畑地区で、19世紀から20世紀初めまで焼かれた小畑焼晴雲山窯八代目。
磁器を含む陶磁器で開窯した晴雲山窯が、萩焼を手掛けてからおよそ80年。八代目の岡田裕氏は今、自分なりの造形性と色彩感覚で萩焼の新たな造形世界を創り出す。
染付や色絵磁器を焼いた祖先
最盛期には10軒ほどの窯元が煙を上げていた小畑焼の郷・前小畑地区は、国指定史跡の炉反射炉の手前の山側一帯を指す。200年ほど前当地に窯をすえた晴雲山窯の開祖は、有田の磁器生産が過剰になったので肥前から萩の前小畑に移り住んだ陶工・権左衛門。そこに埋蔵されていた良質の磁土で染付や色絵磁器を、その他に陶器も焼いた。
1946年に生まれた岡田裕氏は幼い頃、窯の前を流れる庄屋川の上流で水車が回り、唐臼で陶石や長石を砕いていたことを記憶している。しかし父親の仕事の関係で中学のときに萩を離れてからは、慶応義塾大学法学部を卒業すると200年も続く窯元の跡取りであることを意識もせず、東京・丸の内の一流サラリーマンとして社会に飛び出した。
帰郷
大いなる希望を抱いたサラリーマン生活だったが、岡田氏はその職業にすぐに違和感を覚えた。夏休みなどで帰郷した折りに触れた土による創造的な世界との落差が大きかったのだ。岡田氏は父親の七代岡田仙舟に師事し、72年に東京の生活を切り上げ、前小畑に戻った。その頃萩は、69年には岡山まで新幹線が開通して観光客も増え、徐々に明るくなってきていた。
先祖から受け継いだ陶芸の遺伝子が直ぐに結果を出した。帰郷した翌年には山口県美術展に入選し、茶の湯の造形展や伝統工芸展でも次々に賞を獲得し、その作品性は高く評価された。
シルクロードをイメージした炎彩と造形性
2003年前岡田氏は、作陶30年を記念した「白のぬくもり」展を開催した。萩に戻ってから一貫して追及してきた萩の伝統色である白釉の白と、ほんのりと赤味がさした窯変とのコントラストをテーマにした展覧会であった。しかし、岡田氏が追求しているテーマはそれだけではなかった。
岡田氏は30年ほど前から、萩のほぼ同世代の作家と2~3年に1回、シルクロードの旅を企画している。第1回目は新潟経由で、シルクロードの要地ブハラなどを訪れた。その旅行先で出会った砂漠、チベットの山々、雲などをイメージしたのが「炎彩」シリーズで、成果は色彩面だけではなかった。1993年に開催した作陶20年の「天地悠久」展で発表したのは、白釉炎彩による壺や花器。しかしその口の形は三角、四角、五角、胴の形は弓形や花形などと様々で、岡田氏はシルクロードをイメージした造形性をも追求していたのだ。
轆轤挽きと白釉のイメージが強い萩焼に、轆轤で挽き上げた器の裏から直線や波形の筋を入れ、そこを表から足した土ひもで際立たせてシルクロードのイメージを萩焼に同化させた造形性は、高く評価されている。
OKADA YU PROFILE
1946年 山口県萩に生まれる
1968年 慶応大学卒業
父の七代岡田仙舟に師事
1984・89年 茶の湯造形展優秀賞
1985・93・95年 茶の湯造形展奨励賞
1986年 西日本陶芸展山口県知事賞
1986・98年 伝統工芸新作展NHK賞
萩市文化奨励賞(杉道助賞)
1989年 西日本陶芸展熊本県知事賞
1993年 作陶20周年記念展「天地悠久」
伝統工芸新作展下関市長賞
1994年 伝統工芸新作展朝日カルチャーセンター賞
山口県芸術文化振興奨励賞
1996年 茶道美術公募展淡交社賞奨励賞
1997年 伝統工芸新作展山口朝日放送賞
1998年 山口県文化功労賞
1999年 連続ドラマ「緋が走る」(NHKテレビ)の陶芸監修
「白釉窯変壺」宮内庁買上
2000年 萩焼400年パリ展出品
2001年 芸術文化功労山口県選奨
2004年 晴雲山窯八代襲名
2013年 第1回陶美展奨励賞
コレクション:外務省、山口県立美術館、田部美術館、そごう美術館