走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代
2024年4月20日(土)〜9月1日(日)
菊池寛実記念 智美術館
港区虎ノ門4-1-35 西久保ビル
03-5733-5131
1948年に京都の陶芸家八木一夫、叶哲夫、山田光、松井美介、鈴木治の5人で結成され、前衛陶芸家集団として戦後日本の陶芸を牽引した走泥社は、中国均窯の釉調にみられる蚯蚓(ミミズ)が泥をはった跡の曲がりくねった線状模様の「蚯蚓(きゅういん)走泥文」から名付けられた。いわゆる器ではなく、立体造形として芸術性を追求した陶芸作品いわゆる「オブジェ焼」を創り出した。
本展では結成25周年となる1973年までに焦点をあて、25年の間に同人であった42名のうち作品が残る32名の制作をとおし、その活動を展示する。走泥社の前衛性が特に活動期間の前半に顕著なためで、同時に同時期に展開された他の前衛陶芸活動や日本の陶芸に影響を与えた海外の作品を資料などにより紹介する。
なお、本展は3章構成となって、当館では1章と2章を前期、3章を後期として会期中に展示替えを行うとともに講演会なども企画されている。
<1章>
器の形態を立体造形として自立させようと模索する走泥社最初期の作品の紹介。この時期の制作には、中国や朝鮮半島の陶磁器にもとづく様式や技術を基盤にしつつ、器体をカンバスに見立てたようなパブロ・ピカソの陶器や絵画、イサム・ノグチのテラコッタをはじめとする同時代の美術表現からの影響が見受けられる。陶芸界の伝統的な規範から離れ、絵画的な文様表現で自身の抱くイメージを現し、あるいは陶磁器が持つ造形上の要素を現代の造形に昇華させようとした点に走泥社の前衛意識が窺える。
<2章>
現在では陶のオブジェとは一般的に実用性のない陶の造形作品を指すが、当時は造形を通じた心象風景の表象と捉えられていた。2章では、前衛陶芸家たちが作者の内面性を表現する陶芸の在り方に創作の可能性を見出し、そのような制作が根付いていった時期の作品を紹介する。走泥社以外で活動していた有力な陶芸家たちが同人として合流し、それぞれの陶芸観にもとづく制作によって多様性ある前衛陶芸家集団として走泥社の骨格が定まっていった時期でもる。
<3章>
1964年に開催された「現代国際陶芸展」で海外の陶芸表現が初めてまとまった形で紹介されると、伝統や素材、技術の捉え方の違いから生じる異なる陶芸表現に日本の美術・陶芸界は衝撃を受け、動揺した。そして自己の創作を検証することで、心象風景の表象として始まった陶のオブジェが、前衛性を求めるだけでなく個々人の造形表現としての成熟へと向かっていった。
3章では、海外の制作が盛んに紹介されるなか、草創期からのメンバーと次世代の若手作家とが併存し、多様な造形表現が為されるようになった充実期の作品を紹介する。
◎講演会1「今、なぜ走泥社なのか」
大長智広(京都国立近代美術館主任研究員)
5月18日(土)15時から B1展示室
◎講演会2 「三輪龍氣生が語る走泥社前後の青春陶芸
三輪龍氣生(本名:龍作/十二代休雪、元走泥社同人)
聞き手=島崎慶子(当館主任学芸員)
7月13日(土)14時から B1展示室にて
◎学芸員のギャラリートーク
いずれも土曜日、15時から
5月11日、25日/6月15日/8月3日
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